立像・並んで立つ
2021年
立像
何年にもわたって、いくつも作品を作ってしまうテーマがある。
「立像」というテーマもそうで、初めて描いたのは2001年。
きっかけは9.11のアメリカ同時多発テロだった。
テレビをつけると、昨日までそこにあったビルが
粉々に崩れていく姿があった。
巨大な暴力が日常を破壊する様を見て
恐怖で足元が、暗い所に吸い込まれていくような感覚が来た。
幼い娘の手を握りながら
足をふんばってその感覚と闘いたいと思った。
そこにあったはずの、確かに存在していたもの。
それは消されてお終いなわけじゃない。
何か残っているものがあるはずだ。
そんな思いで制作をした。
それが私にとっての
はじめの立像だった。
2001年以降
私は何度も「立像」という題名で作品を描いている。
暮らしの中、悲しみや恐怖に出会った時
私はこのテーマに向かう事で
感情を整理しようとしていたのだと思う。
2011年に、故郷の街を津波が襲った。
あらがえない大きな力がさらっていったものに
大声で呼びかけ、叫ぶような気持ちをこめて絵を描いた。
根こそぎ消されたように見えても
原型をとどめていなくても
立てずに倒れていても
そこに立ち上がってくる存在感があるはずだ。
その存在感があり続けること。
立ち上がり続けるということ。
そういうことを信じたかった。
立像という絵をくり返し描き進めるうちに
私の中にはっきりとした思いがやって来た。
「在った」事は消えない。
天災も人災も、過去を変えることは出来ない。
かけがえのないものが、確かにこの世にあったという事実だけは
例え地球が壊れてしまっても消すことは出来ない。
そうはっきり感じた。
失ったものは、消えてしまった訳じゃない。
在ったという事実がある限り
それは形を変え、時間を超えて、立ち上がり続けるはずだ。
描く事を重ねるうちに思いは強くなり、私は今、それを信じられる。
信じられる事が、心の背骨となって私を支えてくれている。
これからも
そこに居てくれる
大切なものへの感謝の気持ちを込めて、私は立像を描くだろう。
くり返し何度も描くと思う。