四角い貝がら
2021年
幼い頃
ふるさとの海で
あんなに拾ったのに
今、手元に
あの海の貝がらは
残っていない
それでも
思い出す桜貝の色は
私を幸福にする
何度も何度も
小さなみどり
2022年
春 土を割って
緑の芽が
空へ 空へと
手を伸ばしている
光の方へまっすぐ
目を向けて
笑うみどりご
小さなみどりⅡ
2022年
プレパラートの上に
宇宙があった
顕微鏡で覗くと
手のひらのみどりは
どこまでも
大きく深い世界を見せて
その後、また
手のひらの上で
小さく笑っていた
小さな窓
2021年
部屋の窓を見る
今、私の持っている空は
小さな四角い空だ
でも この空は
どこまでも広い、遠くの空へと
つながっている
私の大切な空だ
朝の硝子戸
2021年
結露した窓の向こうに
朝の気配が来る
見るうちに
移り変わる
光と色
つかまえたくて
硝子戸に指を伸ばしていた
東雲Ⅱ
2020年
これまで
数え切れないほど
朝の訪れを
教えてくれたのに
その光を「しっかり見た」と
自覚したのは
物心ついて40年以上たってから
その光と色に
ちゃんと名前がある事も知らなかった
どんなに留めたいと願っても
見る間に変わり
去って行ってしまうけれど
必ずまた会える
そしてその度に
東雲は
私の中を照らす
足もとの光
2021年
下を向いてしまう日
足もとで光がゆれてるのに
気がついた
見入っていると
いつの間にか微笑んでいた
何かをきれいに思う瞬間は
遠くから励ましの声が聞こえるのと
似ている気がする
ふりやまない場所
2007年
人の心の中には
雪のように花びらのように
一つの思いが
しんしんと降り積もる場所が
あるのではないかと思う
心の奥にある
その人にしかわからない場所で
もしかしたら
その人自身にも自覚のない場所で
それは降り続けている
降り積もるその場所には
時計の刻む時間とは別の
もう一つの時間の流れがあるように思う
例え現実の世界で
その人の時間が 止まってしまっても
その場所で 思いは流れを止めず
永遠に降り続けているのではないか
私はそう想像する
それは子供じみた空想かもしれない
けれど降り続ける風景は
私の中から消えない
だからくり返し くり返し
その風景を描き続けている
ふりやまない場所・花影
2021年
風に吹かれて
花吹雪が来る
心が一瞬 真空になる
この花びらは
時を超えて
過去から舞って来たような
未来へ吹いて行くような
そんな気がしてしまう
立像
何年にもわたって、いくつも作品を作ってしまうテーマがある。
「立像」というテーマもそうで、初めて描いたのは2001年。
きっかけは9.11のアメリカ同時多発テロだった。
テレビをつけると、昨日までそこにあったビルが
粉々に崩れていく姿があった。
巨大な暴力が日常を破壊する様を見て
恐怖で足元が、暗い所に吸い込まれていくような感覚が来た。
幼い娘の手を握りながら
足をふんばってその感覚と闘いたいと思った。
そこにあったはずの、確かに存在していたもの。
それは消されてお終いなわけじゃない。
何か残っているものがあるはずだ。
そんな思いで制作をした。
それが私にとっての
はじめの立像だった。
2001年以降
私は何度も「立像」という題名で作品を描いている。
暮らしの中、悲しみや恐怖に出会った時
私はこのテーマに向かう事で
感情を整理しようとしていたのだと思う。
2011年に、故郷の街を津波が襲った。
あらがえない大きな力がさらっていったものに
大声で呼びかけ、叫ぶような気持ちをこめて絵を描いた。
根こそぎ消されたように見えても
原型をとどめていなくても
立てずに倒れていても
そこに立ち上がってくる存在感があるはずだ。
その存在感があり続けること。
立ち上がり続けるということ。
そういうことを信じたかった。
立像という絵をくり返し描き進めるうちに
私の中にはっきりとした思いがやって来た。
「在った」事は消えない。
天災も人災も、過去を変えることは出来ない。
かけがえのないものが、確かにこの世にあったという事実だけは
例え地球が壊れてしまっても消すことは出来ない。
そうはっきり感じた。
失ったものは、消えてしまった訳じゃない。
在ったという事実がある限り
それは形を変え、時間を超えて、立ち上がり続けるはずだ。
描く事を重ねるうちに思いは強くなり、私は今、それを信じられる。
信じられる事が、心の背骨となって私を支えてくれている。
これからも
そこに居てくれる
大切なものへの感謝の気持ちを込めて、私は立像を描くだろう。
くり返し何度も描くと思う。
立像・時雨の光 (部分)
2023年
とても単純だけれど、
いいお天気の中歩いていた時に
突然、時雨に降られて
それがきっかけで描きたくなった絵です。
その時、唐突に来た時雨は
太陽の光を浴びて
輝く粒になって降って来ました。
ふと見ると、目の前にあった木は、
その光の雨をまとって立っていました。
冷たい雨に降られる事と
暖かい陽の光を浴びる事が
同時に起こっていて、
その中で木は輝きながら立っていました。
私はしばらくその場に居て
光る雨と木を見ていました。
一緒に濡れながら、
私もこの木の様に立ちたいと思っていました。
時雨はやがて止み、
私はその風景を大切に
胸の中に抱えて
歩き始め、家路につきました。
(絶対絵にするんだ)
(絶対絵にするんだ)
と思いながら歩いていました。