まだ娘が学生の頃、
私は生まれて初めて
パートに出る事になった。
自分の事ばかり考え
社会的責任から逃げ回っていた
私は、ろくに就職活動もせずに
アルバイトしか経験のないまま
年を重ね、気がつけば
結婚し、出産していた。
だから
パートに出た時、
感覚的には社会人として
全くゼロからのスタートだった。
元々苦手だった漢字は忘れはて
領収書の書き方も知らない。
計算機を使っているのに
簡単な計算も間違える。
そんな私が
現場でどれだけ迷惑をかけて
給料をもらって来たか。
ああ!もうほんとに!
ごめんなさいである。
何とかかんとか
仕事を覚えられたのは
2人の先輩達のおかげだった。
その店舗は私を含めて
パートは3人。
覚えが悪く、かつ
絶望的におっちょこちょいの私を
細やかにキッチリ
辛抱強く指導してくれる先輩と、
慌てる私をニコニコ
「大丈夫!」と
ゆったり励ましてくれる先輩2人の
見事な連携プレイ。
しかし私はご厚意を感じつつも
何度も同じ失敗をする自分に
嫌気がさしてへこたれては
家に帰ってからも
ちょっとした事で
泣きベソをかいたり
目に物もらいが
出来る日々だった。
1人の先輩は
自分の勤務時間外でも
近くを通りかかったふりをして
不安でいっぱいの私の様子を見に
店舗に寄って、サポートしてくれた。
もう1人の先輩は
絵を描く私を面白がってくれて
「昨日は絵を描けたの?
休みの日は切り替えて、
制作、制作!」と
励ましてくれて、
私がネガティブな発言をすると
「前向きにね!」と
真っ直ぐ私を見つめて
笑ってくれた。
2人の優しさのおかげで
私は少しずつ仕事を覚え、
体が自然に動くように
なって来たのだ。
いつのまにか物もらいはなくなり
職場でも打ち解けて
私は笑って先輩達と色んな話が
出来るようになっていた。
そんなある日、私は
さりげない様子で
家庭の事情を教えてくれた
先輩の言葉にびっくりした。
いつも大らかでニコニコ。
職場では
「大丈夫!大丈夫!」
「前向き!前向き!」が
口癖だったその人の旦那様は
難病で、もうずっと長いこと
入院生活を送っているというのだ。
発病したのは
4人のお子さんを
まだまだ子育て
真っ最中の頃だったという。
これまでの日常生活が
激変する恐怖。
子供達を育てる事。
旦那様を支える事。
それら1つ1つを
この人は引き受けて、
今、私の目の前で笑っている。
「私も鬱になって通院したり
車の運転中に、ひとりで
泣いた事もあったよ。」
そう微笑んで話す先輩の
「大丈夫」と「前向き」という
口癖は、私が考えているより
ずっと重かったのだ。
人知れず
歯を食いしばって
家族を守って来た、
この人の歴史が
作った口癖だったのだ。
私は子供の頃
偉人というのは
図書室の偉人伝の背表紙に
名前の書かれている人達の事だと
思っていた。
遠い世界の人だと。
でも違う。
偉人は隣にいる。
私が気づいていない
だけなのだ。
パート先の店の近くの原っぱで
足元の小さな草がたくさん
光を受けて輝いていた。
失敗をくり返しては
肩を落とす帰り道。
それらは私を慰めるみたいに
ゆらゆら光ってくれていた。