コロナびっくり その3

コロナの日々の報告。その3

(またかい)

と思われる方もきっと

いらっしゃいますね。

すんません!これで最後です。

さて、

コロナにやられて

喉が痛すぎて!もう

痛み最小限で喉を通ってくれる

水分の事しか考えられない日々。

 

いく日か経って

少しずつ、

少ーしずつ喉の痛みが減って

水分を飲み下す事が出来るようになって来た。

 

(うおおおお!よっしゃあー!)

 

もうそうなればと

痩せてギョロついた目を光らせて

私が考えるのは

そう!食べ物の事である。

 

「何とか喉を通る物」ではなく

食べたい物を食べてやるぅ!

 

限られた条件であっても

とにかく食べたい物を。

作るわよ

作るわよ!

 

血走った目でうどんを煮る。

出汁を効かせて

くたくたに柔らかく煮た好物。

腰抜けうどんを食べてみる。

 

(???)

 

え?あれ?

今私は何を食べたのか?

 

味はするけど

知ってる味じゃない。

 

何か変だ。

 

初めてだこんなの。

 

味がするようでいて

全く違う。

 

えぐ苦薄しょっぱい?

何?それしかない?

 

そうだ、風味がないのだ。

匂いがしない。

 

例えて言うなら

目は見えてるけど

世界が白黒になってしまった

みたいな。

 

せっかくキムタクが

「ちょ待てよ」って

呼びかけてくれてるのに

その姿は鼻から上ないみたいな。

 

(かえってわかりにくい

例えになったか?)

 

オイオイオイオイ!

そんなバカな!

 

私は慌ててカレー粉の缶に

鼻を突っ込んでみた。

カツオぶしパックを開けて

同じく突っ込む。

バジル、セロリ、ローズマリー

カルダモン、シナモン、クミン

梅干し、らっきょう、

味噌、醤油...

全滅だ。

 

粗挽きコショーをまとめて

口に入れたら

何の香りもしない。

まさに

砂を噛んでいるようだった。

 

(えーーーーー....

 

旦那にフラフラと歩み寄って

報告した。

「何かねぇ、嗅覚障害が出ちゃったみたい」

 

「ま、まだ鼻が詰まっているんじゃないか?」

 

「鼻なんか全然詰まってない」

 

「そ、そうか...

 

後に旦那は

「俺が代わりになればよかった」と本気で思ったらしい。

 

「食べ物に全てを捧げている

お前が!何という事だ!」

 

「治らなかったらどうしよう!

ああ!気の毒過ぎる!

悲しみはいか程か!」と

 

心底心配したという。

 

うーむ。

ありがとう旦那。

しかしなんか私、えーと

人として、

ちょっと、

恥ずかしいかもしれないな。

 

その日から毎朝起きると

様々なスパイスに鼻を近づけて

匂いを確認しようとしたり

調味料を1つ1つ舐めては

風味を思い出そうとした。

 

何日か経ち

喉の痛みで全く出なかった声が

少しずつ出るようになるにつれて

ゆっくりと、本当にゆっくりと

微かに私に匂いが戻って来た。

 

砂を噛むようだった

粗挽きコショーは

美味しいスパイスとなり

白黒だった世界は色づき

キムタクの輪郭は完結した。

 

ただただ幸運だったとしか

思えない。

回復した。

ありがたい事だ。

 

しかし

嗅覚という1つの感覚が

狂うだけで

世界は変わるんだな。

 

世界は、自分でも

自覚の追いつかない所で

日常の感覚が糸を紡ぎ

複雑に絡み合って

「私」という1つの織物を

作っているようだ。

 

1つの糸が抜けたら

世界は一変する。

 

普段はその事を想像する事なく

自分の世界は今日も明日も続き、

変化するとしても

緩やかなものだと

どこかで

たかをくくっている。

 

世界は突然変わる時がある。

 

私はそれを踏まえて

生きて来たつもりだったけれど

頭で覚悟するのと

体で自覚する事は

天と地ほどの違いがあるようだ。

 

これからも勉強ですな。

 

コロナめ。

回復祝いに行って来ました。
とうとう食べましたよ!
念願の山岡家。
これに更に
やけっぱちニンニクドバドバ。

本来の私の好みは
断然こっちの中華そば。
穏やかに沁みる
優しき日常の味。

きっと山岡家は戦いの為の
エネルギーの味なのね。

ガッツリパワーいただきました。
ありがとう山岡家!