毎日、よく空を見上げる。
洗濯物を干しながら、
買い物に歩きながら。
空を見上げると、一瞬ぽかんと
気持ちに余白ができる。
そして、その余白の部分に
その時の一番素直な気持ちが
浮かび上がってくるように
感じるのだ。
時々胸の中にある
もう一つの空を思い出す。
二十歳の頃
入院していた時に見ていた
四角い空だ。
初めて入院した時
私は背骨を折って
寝たきり状態だった。
ケガの痛みより、下の世話を
人にしてもらう事の方が
つらかった。
今まであたりまえのように
自由に使っていた体が
突然思い通りにならなくなるなんて信じられない!
頭でわかっていても
気持ちがついていかない。
イライラしては付き添いの母に
やつあたりをする。
ある日
母の堪忍袋の緒が切れた。
「甘えるのも
いいかげんにしなさい。」
静かにたしなめられた事で
どっと恥ずかしさが来た。
涙が吹き出て
たまらず目をそらすと、
そこに空があった。
窓に切り取られた四角い空に
雲がゆっくり流れていく。
少しの間放心して
それを見ていた。
(ばちがあたったんだ)
突然そんな言葉が
すとんと胸に落ちて来た。
入院してからずっと
(どうして私がこんな目に)
と思って腹を立てて来た。
何に向かって
腹を立てて来たのだろう。
腹を立てるべきは自分だった。
私が一つ一つ選んでいった行動と
その成り行きが
今の、このベッドの上の自分を
引き寄せた。
何でも出来ると思っていた。
でも今、
ひとりでは何も出来なくなって
自分の性根が
身ぐるみはがされてみると
私はどうしようもなくわがままで
ちっぽけだった。
今まで、自分に与えられて来た
たくさんの事を、
私は当然の日常として
浪費して来た。
だから今
ここにこうしている事になった。
(そういう事だ...)と思って
空を眺めていた。
退院した私が性根を入れ変えて
生まれ変わったかというと、
やっぱりわがままで
ちっぽけなまま今に至る。
でも、与えられてるものに慣れて
日常をあなどっていると
手痛いしっぺ返しにあう、
という事は身にしみた。
だから時々、ちいさな四角い空が
胸の中によみがえってくるのだ。
さて、時が経ち、
今の私は
好きな場所で
どこまでも広がる空を
見上げる事が出来る。
わーい!やったー!
嬉しい事だ。
だけどあの頃
どこにも行けず
寝たきりで見ていた小さな空。
それが教えてくれた事は
大切に胸に残っている。
小さな窓から広がる
無限の世界。
それは私が
絵を描く時に目指している事と
重なっている気がする。