忘れる人

「記憶が薄れていく」

「忘れてしまう」という事が

どうにも辛くて悲しい時期が

あった。

 

あんなに大切だと思ったのに

この瞬間を絶対に忘れまいと

思ったのに

時が経てば記憶は薄れる。

やがて忘れてしまう。


まるで自分で自分を

裏切っているかのような

くり返し。


どんなに忘れないと思った

辛い事も、喜びの瞬間も

結局消えてしまうのか。


時間の前には無力なのか。


確かなものなんて

自分の心の中に

作り上げる事など

不可能なのか。


そんな事を思って

心細くて悲しくて

仕方なかった。


(そんなのやだよー!)

(抵抗したいよー!)


私が絵を描くのは

そんな動機もあったのかも

しれない。


しかし今の私は、

それについて昔のような

悲壮な心細さを

持たなくなった。


ある人との出会いの

おかげかと思う。


その人は信じられないくらい

たくさんの事を忘れる人だった。


人からされた嫌な事も

あっという間に記憶の外。


後ろを振り向かず

常に今、そして前を向いて

走っているようだった。


何よりとびきり忘れているのが

自分が人にやってあげた事に

ついてである。


(ああしてあげたのに。

こうしてあげたのに。)という

言葉とは全く無縁の人間なのだ。


そして

「あの時は本当にありがとう」と

人から感謝を伝えられると

キョトンとしている。


私はケチで執念深い人間だから

あれもこれも失うまいと

全身で記憶にしがみつき

反芻する人間だ。


だから、この人に出会って

心底びっくりした。


この人間には欲がないのか。

単なる阿呆なのか。

神様なのか。


未だに答えは出ていないが

この人に言われて

救われた言葉がある。


「忘れる事は消える事ではない」

という言葉だ。


「例え思い出す事が出来なくても

自分が経験して感じた思いは

身体中に染み込んで

存在している」


「人の存在は、その全てで

出来ているから、

安心して忘れていいんだよ。

忘れたって消えないものと

一緒に生きているんだから。」


もちろんそう言われて

簡単に自分の気質が

変わった訳ではないけれど


私は救われた。


そしてその出会いは

その後の私の生き方を

変えたと思う。


「覚えている」「記憶がある」

という意識上のものだけではなく

無意識の自分だって自分だ。


腹を据えて 全て抱えて進めと

言われた気がしたからだ。

走る電車の窓から撮った海の光

シャッターを切る間に
遠くへ移ってしまう

写せたのは端っこにほんの少し

画像に残そうと残せまいと
光の美しさに出会った事実は
変わらない