大切な町

2009年 6月


すぐ下の妹は

1人暮らしの部屋で倒れて

見つけてもらえるまで半日


脳出血と頭蓋骨を開く手術

首から上を2倍に腫らして

痛みと高熱の中

境目をさまよった


術後を見守り ICUに通い

呼びかけ続けたある日

(閉じた目も口も手も動かない 

でも聞こえているぞ)

というように 

足首をブンブン動かした


やっと意識が戻って

動く方の目で笑い

左手でこぼしながらも

食事をした


良かった 乗り越えたと

次の日からの

リハビリ用に靴を買い

言葉を交わし

笑い合った翌日


意地悪く

どこかに潜んでいた血栓が 

心臓に悪戯をした


入院から13日目の昼


直前まで看護師さんと

談笑していたのに

車椅子の上で意識をなくして

そのまま行ってしまった


妹が最後に住んでいた

東京都豊島区東長崎


病院と妹のマンションで

12日間だけ 私も暮らした

あの子の大切な町

今日の盛岡の最高気温は30



あの頃、6月の盛岡は

まだ涼しかった。


その盛岡から

革靴で駆けつけた私は

妹のマンションから

方々走り回る毎日の中

東京の暑さにとうとう音を上げ

妹のサンダルを

無断で借りて履いた。


意識の戻った妹が私の足元を見て

「お姉ちゃんの履いてるサンダル

私のお気に入り〜...」と

言った時は

「ああっ!ごめん!ごめん!」

と平謝りだった。


こんな調子で昔から

「ちょっと貸して〜」と言っては

妹の物を使って来た悪い姉。


ここに来て、この状況でまで

やってしまったのかと

冷や汗をかいた。


妹は靴を履く事もなく

病院から出た。


私はそのサンダルを妹と一緒に

見送りたかったけれど、

母はそれを私に託した。


毎年夏になると

そのサンダルを取り出して

悪い姉だったと思う。


そして

妹と一緒に行きたかったと

思う場所に出かける時は

必ずそのサンダルで出かける。


「一緒に行こう」と

心の中で声かけて出かける。