流れの中で

時間の流れが

横方向に流れていると

想像してみる。


それに対して

「美の時間」は きっと

その線上に垂直に立っているのだ。

 

美の流れは縦方向に向かって

揺るぎなく

天上へ伸びて行く。

 

時間の流れに運ばれて

横へ横へと進んでいる私達が

もし

美と交わる瞬間があるとすれば

その出会いは

光のように一瞬の事だろう。

 

だからこそ

その一瞬に立ち会った時の

嬉しさといったらない。 


横の流れに運ばれながら

(あれは何だったのだろう)と

嬉々として何度も振り返り

切なく反芻する事になるのだ。

 

例えば

「恋愛の成就」という

その瞬間が美だとすれば

結婚の誓いというものは

なんと健気で切ないものかと

思う。

 

時の流れは止められない。

 

それなのに

「時間よ止まれ!」

「この一瞬を永遠に!」と

神様に誓うのだ。

 

私が思うに

それは誓いではなく

神様への挑戦状である。

 

(私達の思いは時間を越える)と

勇ましくも叩きつける

自然の摂理への果たし状に

他ならない。

 

そしてその多くは

時間に負けるのだ。

 

時の流れの中

誓った美を見失う。

 

意気揚々と叩きつけた挑戦状は

ただの契約書となり、

美の瞬間は忘れ去られる。

 

しかし中には

時間を超越する関係もある。

 

その関係は

何度も美の瞬間をリベンジして

美を内包した流れを作り

静かに闘い続ける。

 

やがて欲も寿命も忘却も超えて

もう一つの時間を刻み続けるのだ。

 

ずっと永遠に。

私のこの考え方は、

昔頂いたこの本の

「時間論の中に解體された感情」

という章の内容に影響されている


そして胸に聞こえてくるのは

矢野顕子さんが歌う

「赤いクーペ」

聞くたびに、

時間の流れを超えてどこまでも

突き進む二つの魂を想い

心が締めつけられる


そしてこの漫画

先程紹介した本と歌と

この漫画は、

私にとっては同一線上にある。

 

人間にはどうすることも出来ない

時の流れと人の寿命がある。

 

だからこそ

「出会えたこの一瞬の光を

永遠に抱きしめる!」と

叫んでいる漫画だと思う。

 

お下劣ドタバタな

笑いの中の真心と、

恋の形を保ったままの

愛の形。

 

どこまでも続いて欲しいと願う。

どうか、いつまでも ずっと。

 

#決別する時に
#はじめて、ほんとうに遇えたのだ

#悲しみは走り続ける
#幸せを連れて
#ずっと踊っていたいから