硝子戸の中という本

岩波文庫から出ている

夏目漱石のこの薄い本を、

私は若い頃から

鞄に入れて持ち歩いたり

折に触れて何度も

読み返している。

手放せない本が

何冊かあるけれども、

まさしくこの本はこれからも

ずーっとそばにいて欲しい本だ。


その魅力を語れと言われると

さて、どうにも説明が難しい。


「硝子戸の中」は

何か劇的な大事件や冒険や

恋愛とかが起こる話ではなく、

ハラハラドキドキさせるお話ではない。


作品に流れる空気は

一貫して静かだ。

静かだが緩んでいる訳ではない。


語り手の「私」は、

側からみればひと所にいて

淡々としている様に見える。


しかしその心の中は

あっちこっちに動き回り

意識は時間を超えて飛び回り

かなり忙しい様子だ。


一見静かな空気の中に内包する

かなり濃淡のある心の動き。


おこがましい話だが、読み進めるにつれ、本の中の「私」に

かなりの親近感を持ってしまう。


私は小さな家の中で

閉じこもりがちに暮らしながら

心をあっちこっちに

ウロウロ彷徨わせたり

アトリエで七転八倒しているので

つい気持ちを重ねてしまうのだ。


「硝子戸の中」を読んでいると

人の想像力は

体の物理的な条件を超えると

思えて来て、

(よし、これからもどんどん

心をウロウロ彷徨わせるか!)

という気持ちになって来る。


私の作品には

「硝子戸」という言葉が入った

タイトルの絵がいくつもあるが、

それはまぎれもなく

この本の影響で、

「硝子戸」という言葉を使う時、

私はこの本の結びの場面を

思い浮かべているのである。


その場面では

「私」という語り手が

硝子戸を開け、

静かな春の光に包まれ、

うっとりと頬杖をつく。


読む度に私は、その光の手触りを

何とか絵に表現出来ないかと

思っているのだ。



本をテーマにした小作品の展覧会が

盛岡のインプレクサスギャラリーで

開催されます。

42名の作家が参加する

「小さなアート展」。

私も参加させて頂く事なりました。


私は「次のページ」という

題名の新作と、「朝の硝子戸」という同じ題名の作品3点。

4点の作品達をギャラリーに

持って行くつもりですが、さて、

どれをどんな風に展示させて頂けるのかはまだわかりません。


たくさんの個性が弾ける

会場になると思います。


機会があったら是非、

ギャラリーにおいで下さい。



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