遥か昔の話になるが
結婚してから初めて
クリスマスも年越しも
旦那と離ればなれで過ごした事がある。
実家にいたからだ。
「わたくし、実家に帰らせていただきますっ!」
なんてケンカをした訳ではない。
父が3度目の(!)脳梗塞で倒れ、緊急入院したからだ。
原因はお酒だ。
全くもう。
今だから(やれやれお父のやつめこんちくしょう)と腹を立てられるが、
当時は死んだらどうしよう、まともに意識が戻らなかったらどうしようと怖くて仕方なかった。
集中治療室に詰めている母の代わりに実家で家事をしながら、
病院を行き来して
自分の出来る限りの事をしようと
必死だった。
私はその時期、実家でほとんど
祖母と過ごした。
家の中というのは台所がまともに回ることが本当に大切だと思う。
もちろんその他の家事もしかり。
そこを司る人が居なくなってしまうと、とたんにガタガタになって来る。
私は母のように実家を回す事は
なかなか出来なかった。
父も心配だが、そのうち自分の
日常の待つ盛岡に早く帰りたい
気持ちが切実になって来た。
でも一緒に心細い思いをしている
祖母の側に居たい気持ちもあった。
祖母は気丈で滅多に泣き言を言わない人間だったが、さすがに今回は、
「長く生きてるとこんな目に遭うんだね」と呟いた。
戦後女手一つで子供を育てて来た祖母が、息子の病状を前に、私に初めて漏らした弱音だった。
父の心配、母の心配
祖母の心配をしながら
少しでもいつものようにと家の中を整えて食事を作る。
「お姉ちゃんは偉いな、やっぱり
長女なんだなと思った。」と
妹に言われた時、私は後ろめたくて下を向いた。
だって本音を言えば
そろそろヘトヘトだった。
私は立派な長女でもなければ
身を捧げて親孝行出来るほど
心のきれいな人間でもなかったのだ。
クリスマスイブが来た。
はしゃぐ気分などありようもない
我が家の現状。
その日もバタバタと
少しずつ荒れて来る心の内側を
隠してとにかく動きまわった。
別にケーキを買うわけではなかったが、祖母と私の前にはビールのグラスを置き、いつもの晩御飯を整えた。
小さく溜息をついて自分のグラスにビールを注いだ。
「いただきます」と言おうとすると祖母と目が合った。
祖母は私を見て微笑み
グラスを上げると
「メリークリスマス!」と言ったのだ。
一瞬、心が真空になった。
そして思わず
「メリークリスマス」と返し、
2人で笑い合った。
祖母はわかっていたのだ。
私が疲れていた事。
父の心配をしながらも、
投げ出したい、逃げ出したいと
思いながら実家にいた事。
ずっと笑っていない私を。
滅多に横文字など口にしない祖母が、頑張って見せた、
ちょっとおどけた仕草だった。
猛烈に泣きたくなったが、
喉にビールをゴクゴク流し込む事で耐えた。
飲みながら(この祖母の笑顔と声を私は一生忘れないだろう)と思った。
私はキリスト教徒ではないので
「聖夜」という宗教上の意味については、あまり深く考える事なく生きている。
ただ、「聖夜」という言葉を聞くと、「メリークリスマス」と言った祖母の顔が目に浮かぶ。
あの夜は、祖母と私の「聖夜」だった。
これはポインセチアじゃなく
南天( ̄∀ ̄)
クリスマスは降るのかな...?
#聖夜#メリークリスマス#祖母#盛岡