人前で話すのが物凄く苦手だ。
考えるだけで足が震えて来る。
中学から高校に進むにつれて
どんどんひどくなった。
顔が真っ赤になって喉が詰まってろくに声が出て来ない。
授業中に起立して本を読むように指名されると、周りの人がクスクス笑うほど真っ赤になった。
引っ込み思案かというとそうではなく、一対一や少人数でのおしゃべりではゲラゲラ笑いながら自分の考えを一席ぶったりしているのだから、突然豹変する私の姿を見て、びっくり戸惑う友人も多かった。
その落差も恥ずかしくてたまらず
ますます「人前で話す」という事への恐怖感が増して悪循環。
どうにもならない。
大学に入ってからも
子育ての場面でも
(もしかして人前で話す機会があるかも)と思うだけで、みぞおちが引き絞られる感覚が来て
(どうにかして回避出来ないか)と、そういう場から逃げ回る事ばかり考えて来た。
だけど、その私が
今は少しずつ
逃げずに、その場と向かい合おうとして来ている。
思えば
腹をくくって人前に出て行くようになったのは、大切な人達の弔辞を頼まれる機会が幾度かあったからだと思う。
祖父の弔辞が始まりだった。
そんな場面、苦手で怖くて逃げ出したかったけれど、断るなんてどうしても嫌だった。
祖父への思いを形にしたかった。
当日、振り絞る声もか細くて
下半身は傍目にもはっきりわかる程、ガタガタ震えっぱなし。
無様そのものだった。
それでも、最後まで
一生懸命気持ちを読み上げる事で、祖父は私のカッコ悪い姿を許してくれるだろうと思っていた。
真っ赤な顔で、震えて泣き顔のまま弔辞を読み終えた時
初めて私は
(無様でもカッコ悪くてもいい)
と思っていた。
誰かに自分の本心を伝えたいと思ったら、逃げて自分を守っている場合ではないのだ。
カッコつけてる暇なんかないのだ。
(無様でもいい。)
(大丈夫。)
(気持ちを伝えよう。)
大切な人達は向こう側から
私にそう呼びかけてくれる。
赤面や足の震え、喉の詰まった
か細い声もそう簡単には変わらないだろう。
それでも私は、昔より
ほんのちょっぴり開き直って
人前に出て行こうと思っている。
卒業アルバムのひとコマ。
よりによって
カメラマンさんが来ている時に
英語の先生にあてられて
真っ赤になって教科書を読む
私が写っている。トホホ💧
モノクロでよかったです。
#人前で話す#無様でもいい#赤面