「叶えたい夢」というのを
持った事がない。
子供の頃
「将来の夢」という題で
作文を書きなさいと言われると
たいがい「絵描きさんになりたい」と書いていたが、
毎日その辺の紙に絵を描いて
それだけで嬉しい私は、内心
(ある意味 私、もう絵描きさんじゃん)と思っていたからだ。
心のどこかで「夢」というのは
もっとはるか彼方にある憧れであり、人が一生かけても見つかるかどうか、わからない存在なのではないかと思っていた。
何かを獲得する事や
就きたい職業とかは
夢というより目標じゃないのかな?と思い、はたして
夢とはなんぞや?と思っていた。
そんな事を思っていた時から
もう何年も経った。
歳を重ねて
大切な場所を失ったり、大事な人が何人か彼岸に旅立つ経験をするうちに、じわじわと気がつき始めた事がある。
失ったあの風景の中に居られた事や、逝ってしまった人達と過ごした時間。
あれは夢のような時間ではなかったか、という事だ。
私はすでに夢の中に生きていた。
それは今だってそうなのだ。
大好きな場所
嬉しい時
大切な人達
大事な思い出
何か一つでも心にあれば
今生きているという事は
すでに夢の中に居るという事ではないだろうか。
私はもう夢を生きている。
もしかしたら夢は叶えるものでは
なく、気がつくものなのかもしれない。
「肌身離さず」という感じで
聴いている、矢野顕子さんの
アルバムです。
このアルバムの中にある
「それだけでうれしい」という曲を、可愛い恋愛の歌かと思って
ずっと聞いて来ました。
それなのに年を重ねるにつれて
歌の意味が変わって来たのです。
「夢の真ん中を歩いていこう」
歌詞にあるこの言葉は
折に触れて心に射し込んで来ます。
#矢野顕子#それだけで嬉しい#夢の真ん中を歩いていこう