今でこそ食い意地の塊だけれど
小さい頃は食が細くて
すぐ熱を出す、体の弱い子だった。
(ほんとよ( ̄∀ ̄))
何であんなに何も食べたくなかったんだろう。
特に朝ご飯が無理だった。
岡本かの子の小説に
「鮨」というのがあったが
まさしくあれに出て来る男の子と同じ。
(お腹が空いた)という感覚がよくわからず、いつもぼんやりと気持ちが悪い。
何とか
おつゆだけは口に入れるけれど
それが終わればもうご飯を食べる力など残っていなくて
毎日毎食
手付かずのお茶碗の前で呆然としていた。
そうなると当然母は心配でたまらない。
「また残しているの」
「また食べられないの」
とがっかり悲しそうだ。
母は怖い声で叱ったりしなかったけれど、毎日毎食の母親の落胆は
3歳の子供にもしっかり伝わってくる。
ますます食事の時間がつらくなる。
ある日、業を煮やした母が
「ほら、こうして食べてみたらどうかな?」と目の前のご飯に生卵をかけた。
白身がよく混ざらず
ドロンと半透明の塊がごはんの上に乗っている。
そこに茶色いお醤油がタラーっとかけられた。
(うわあ...)と思った。
けれど3歳の私は、親の提案に対して
嫌がるとか断るとかの選択肢がある事など知らないのだった。
結局半分も食べられず
憐れその卵ご飯も母親が悲しげに片付ける事となる。
ご飯を呆然と見つめる日々をくり返した後、私はそれまでやらなかった工夫をするようになった。
「必殺!目をパチパチ」である。
ご飯をしっかりと見つめ、
願いを込めて目をパチパチ瞬きすると、パチパチする度にご飯が少しずつ小さくなっていくのだ。
(すごく小さくなってくれれば
残さず食べる事が出来るかも!
生卵がかけられる前に。)
しかし、順調に小さくなっていくご飯も、何度目かのパチでまた元の大きさに戻ってしまう。
(あれ?あれ?)
(もう少しだったのに...)
時が経ち、私は小学校2年生あたりから急激におてんばになった。
両親にガンガン口答えをし、
高学年ともなると、給食は必ずおかわりし、人のパンまで大喜びで貰うようになり、あだ名は「山ザル」となった。
けれど、この頃の私はまだ
家族がとっくに食べ終わったテーブルで1人、小さなお茶碗の前で目をパチパチさせていたのだった。
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