カッコーが鳴く頃

母親の笑顔が好きじゃない子供はいないだろう。 

4、5歳くらいの頃、

母の笑顔が見たくて、セリを摘んだ思い出がある。

 

春、母と家の近くの小さな水辺でセリを摘んだ。

それが嬉しくて、私はセリのおひたしが大好きになった。

 

ある日1人で、両手いっぱいのセリを摘んで台所の母に見せると、「わあ!すごいね!ありがとう!そのちゃん!」

と、母は笑ってくれた。

 

そしてそのセリは、夕食のおひたしになって食卓に並んだ。

 

(これは私が1人で摘んで来たセリだ。)

(そして母に褒めてもらったセリだ。)

そう思うと誇らしくて、格別に美味しくて、食の細い私も

モリモリ食べた。

 

母に褒めてもらってからというもの、私は近くの水辺に行ってはセリを摘んだ。

 

セリを摘む。

セリを摘む。

 

セリを摘む。母笑う。

セリを摘む。母笑う。

 

母はセリを差し出す度に

「すごいね!ありがとう!そのちゃん!」

と喜んでくれる。

 

私のセリ摘みは永遠に続くかと思われた。

 

しかしある日、

母は優しく私に教えてくれた。

 

「そのちゃん、聞こえる?」

 

耳をすますと、カッコーの声が聞こえた。

 

「カッコーって鳴いてる。」

 

「そう、カッコーの声が聞こえて来たら、セリは固くなって来るの。

だからもう取らないで、また来年の春を楽しみにしようね。」

 

母に褒められたい一心で、水辺に通っていた私。

せっかくの情熱を止められた形になったけれど、

私は全く傷つかなかった。

それどころか、今度はカッコーが教えてくれる春の移ろいの不思議さにワクワクしていた。

 

今思えば、母も連日のセリ攻撃に辟易し、(さて、どう切り出したらいいか)と悩んでいたのではないか?

 

しかしもしも、「明日からセリはいらないよ」とだけ言われていたらどうだったろう。

 

幼い私は悲しくて、たぶん

自分がセリを摘みに水辺に走った事など、記憶から消してしまったかもしれない。

 

今の私は、あの頃一心に水辺に走った子供の頃の自分を、

何度も楽しく思い出せる。

 

そして、愚直な私を傷つけまいと、工夫を凝らして言葉をかけてくれた母の、一生懸命な愛を感じる。

 

春から夏に移る頃、カッコーの鳴き声が聞こえて来ると、

何をしててもふと手を止めて、私は耳をすます。

 

そして(そろそろセリの旬が終わる頃だな〜)と微笑むのだ。

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