ペヤングヌードル その愛 その訳(長い)

私は、食事をとても大切にする家庭で育った。

 

両親ともに子供達の食に関して

(きちんとした物を、なるべく手作りで!)

と思っていたのだろう。

 

お金をかけた贅沢な食材が出る訳ではないが、

私が幼い頃、母は専業主婦だった事もあり、

台所から生み出される料理は、

いつも丁寧な心意気に満ちていた。

 

そして近所には、

とびきり新鮮で美味しいものが並ぶ魚屋さんがあり、

岩出山(現大崎市)からは、祖母の心尽くしの野菜や山菜、味噌、漬物が届いた。

石巻渡波の親戚からは香りの良い海苔が届き、

静岡の親戚からも、みかんや緑茶が毎年欠かさず届けられた。

 

今思えばかなり恵まれた環境だ。

 

私は真っ当な恵みに満ちた食事を享受して、

すくすく育っていった。

 

しかしある日、

我が家の正しき食卓に、

黒船がやって来たのだ。

 

黒船。

その名はカップラーメンである。

 

両親も真っ当で正しい食事を大切にしつつも、

興味深々の世界だったのだろう。

ある日曜日、父から

「今日のお昼は全員カップラーメンを食べるぞ!」

「好きなカップラーメンを買って来なさい。」

「大人の分は子供達が選んで買って来てくれ。」と指令が出たのだ。

 

びっくりときめくその指令に、私達姉妹は歓声を上げ、

飛び跳ねるように近所のよろず屋へ走った。

 

普段とは全く違う食事。

様々なカップラーメンだけが並ぶ食卓をみんなで囲む。

変な笑いが込み上げる緊張の中、まずはひと口。

 

普段食べている手作りの味とは違う、

逆の方向に振れた新しい味。

興奮し、和気あいあい。

そのうちみんなでぐるぐる交換し、味見をする。

 

楽しいイベントは

一回で終わる訳はない。

日曜日の「家族でカップラーメン」は何度かくり返された。

 

さて、あれこれ試すうちに

私達家族はいっぱしに、それぞれのカップラーメンについて、なんだかんだと批評するようになった。

まるで「日曜日の家族カップラーメン研究会」である。

 

「こっちの方が本物のラーメンっぽい」

「いや、これもなかなかやる」

など。

本物のラーメンっぽいかという事が大事であり、その価値観のもと議論が進んだ。

 

ところがである。

 

パッケージが地味で中身も本物っぽくない見た目だ....と

ノーマークだった1つのカップラーメンが私達家族に衝撃を与えたのである。

 

そう、ペヤングヌードルだ。

 

ペヤングをひと口食べた妹は

(あれ?)という顔になり、黙って頷き、次の人に渡した。

その人も食べる、頷く。

それがくり返され、

家族みんなにその味が行き渡った後、

沈黙を破って父は、総括する言葉を発した。

 

「これこそが、カップラーメンだ。」

 

母もその後に続いた。

 

「そうよ、これがカップラーメンの美味しさなのよ。

お店のラーメンになる必要はないんだわ!」

 

カップラーメンには

カップラーメンの道があるのだ。

 

その道の真ん中を堂々と歩くペヤングヌードル。

 

「君は君自身でい給え」と

評論の神様、小林秀雄は書かれておられる。

ペヤングヌードルよ、お前はその言葉を体現しようとしたのか?

 

ペヤングヌードルは尊敬と感動に包まれ、奪い合いになった。

 

それから日曜日のイベントの際には、人数分のカップラーメンに、ペヤングヌードルを必ず一個プラスして買うようになり、

みんなで味わい、尊敬の念を深めたのである。

 

今でもペヤングヌードルは、蓋の形こそ変われど、パッケージも中身もあの頃のままだ。

健在だ。

 

ありがたい。

 

楽しい思い出と、道を示してくれたペヤングヌードル。

あなたの存在に感謝であります。

日曜日の昼に歓声を上げ、

あんまり嬉しそうに走って行く私達に、

近所のおばさんがニコニコ話しかけてくれた事があった。

「どこに行くの?」

と聞かれて私達は満面の笑みで

「カップラーメン買いに行くの‼︎」

「今日のお昼はカップラーメンなの‼︎」と答えた。

 

(丹野さん家の子供達、物凄く嬉しそうにカップラーメン買いに行った)

 

という噂が近所に広まり、両親が赤面していた事はずいぶん後になって知ったのである。

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