とにかく憧れる。
見渡せば、まわりは
そんな絵を描く人がいっぱいだ。
その人達の作品を見ては、
「凄い凄い凄い!」って
ひとしきりワクワク興奮した後、
何となく(トホホホホ...)という気持ちになって、
アトリエで体育座りをしたりする。
そして私は、何より身近に
(敵わない)と思う作家がいる。
母だ。
おそらく彼女は、自分を作家だとは思っていない。
上手な絵かというとそうではない。
母の絵の力を何と言えばいいだろうか。
彼女は、描くとなればいつも誠実に真面目に取り組む。
いい加減な所で投げ出したりせず頑張り続ける。
その結果、絵から独自の何かが滲み出て立ち上り始めるのだ。
彼女の絵の最大の特徴は目だろう。
それは人の目でも動物の目でも魚でも同じ力をもっていて、異様に物言いたげなのだ。
いや、目を持たない植物や風景を描いた時だって同じである。
皆、人懐っこい、やっぱり物言いたげな絵になる。
私が小学校一年生の時の学芸会。
そんな母が描いたウサギのお面は、可愛いキャラクター的な他の子のお面とは一線を画す物だった。
動物図鑑を見ながら何枚もやり直し、「おでこを広く取って目鼻を下の方に描くと可愛らしい!」とか
「あまり濃くないうっすらとしたタッチで描くと優しげだ!」
とかなんとか、試行錯誤をくり返しながらの自信作。
どう見ても人面ウサギだった。
目が、人の目だ。
しかも(母曰く、可愛くする為)
にったり笑っている。
写実的努力のため出っ歯である。
呪術なのか。
ウサギの形に切り取られた紙の上で、ウサギではないものが笑っていた。
図鑑を見ながら研究し、
誠心誠意、手を尽くした結果
生まれた何かである。
にったりしたその顔を
今でも私は覚えている。
忘れられない。
忘れさせない。
そんな力のある絵だったのだ。
母の絵は、時間をかけて一生懸命描いた事がありありとわかる。
その誠実さが、八百万の神の
どっかの神様に届いて、絵に何かが宿ってしまう感じなのだ。
なんかくやしい。
母の絵を見るたび自問自答する。
(何かが宿る絵を
私は描いているのだろうか?)と。
母に伝えた事はないが、神が宿るひたむきさとその絵に、
私は密かに嫉妬している。