タイムマシンに乗れるとしたら、過去に行くか、未来に行くか。
多分小さな子は「未来」と言い、ある程度年をとった人は「過去」と言うような気がする。
小さい頃の私は、タイムマシンに乗れたらまず真っ先に未来に行って、どんな自分になっているのか見てみたいと思っていた。
それが今は、やはり過去に行ってみたいと思っている。
胸を張って「自分は大人だ」なんて、とても言えない私だけれど、もうそれなりに年を重ねて来てしまったという事なのだろう。
タイムマシンに乗れたなら...
思い出の中、戻りたい場所や戻りたい時はたくさんある。
やり直したいと願う失敗もあれば、また味わってみたいと思う瞬間もある。
でも、何だかいつも戻りたいと思ってしまうのは、特に際立った幸福な事件の数々ではなくて、
とりとめない話をしたり、
行儀の悪さを叱られたりしながら家族みんなで囲んでいた、幼い頃のなにげない食卓の風景なのだ。
夕方、「おかあさん、今日のごはんなーに?」と台所に行く。
そんな、なんでもない時間の中に、幸せがいっぱいに詰まっていた。
通り過ぎてふり返ってみれば、
気まずい食卓も、泣いていた食卓も、皆、大きな幸福の中の風景だったのだと思えてくる。
その食卓を囲んでいた家族が
一人、また一人と去ってしまった今、その思いはますます強くなっている。
いてくれるのがあたりまえで、
いてくれるだけで幸せだった。
皆のいた食卓は、
もう戻れない幸福の風景である。
夕方の台所で、家族の「今日のごはんなーに?」と言う声にふり返りながら、昔の自分に笑いかけてるような気持ちになる。
きっと私はあの頃の母の顔になっている。
そんな時、ふっと
目の裏にあの食卓が広がる。
時間を戻す事は出来ない。
でも心の中に、ささやかなタイムマシンを持つ事は出来るのかもしれない。
日々のくらしの中、何かのきっかけで心にスイッチが入り、過去のひとときに帰る。
なつかしい人に会える。
だから今も、これからもずっと、あの食卓は私の中にあるのだ。
実家の台所戸棚の奥で
もうずっと出番のないままだった食器を譲ってもらった。
古くても、縁が欠けていても、
私にとっては懐かしい物。
幼い頃、梅干し入れとして常に食卓にあった物だ。
手のひらに乗るような
小さな食器が、ある日
タイムマシンになって
私を乗せて運ぶ事もある。
見る度、使う度に
あの日あの時へ飛んで行く。