ちひろ菓子工房

 

 人は、肉体を離れたくらいでは

いなくならない。

 

心に面影を探せば、

何度も会いに来てくれる。

何度も呼びかけてくれる。

 

そう願って信じていても、

実感を重ねないと心細くなる。

 

お天気のいいある日、私はふらふら散歩していた。

体調が悪いわけではなく、

心がよろよろしていたのだ。

 

父が亡くなって、1年以上経っていた。

 

父の死後、その愛情は

私を包んで離さなかった。

ずっとそれは続いていた。

 

にもかかわらず、その日は心細くてたまらなかった。

簡単に言えば、

(会いたい)という寂しさに呑み込まれていたのだと思う。

 

ふと、小さなお店が目についた。

その建物には見覚えがあった。

 

確か以前は古い民家で、懐かしい感じの建物だったが無人の為、荒れていた。

 

しかし今、その民家は古さと懐かしさを大切に活かしながら、綺麗に改装されてお店となっていた。

 

暖かい色の灯りが灯っている。

ケーキ屋さんのようだった。

 

入ってみて私は驚いた。

かって私が大好きだった

「銀河夢」というお店のケーキが並んでいたのだ。

 

「銀河夢」のマスターは、盛岡で初めてオープンキッチンのケーキ屋さんをつくった人だった。

お店は「彩園子」というギャラリーのすぐ近くにあって、マスターはギャラリーに集まる人々と作品を楽しみ、お酒を飲んで語り合ったりした。

 

私達夫婦は、先輩や友人達の計らいで、

ありがたくも彩園子で結婚式をさせていただいたのだが、

その時のウェディングケーキを作ってくれたのは、

「銀河夢」のマスターだった。

 

しかし、まだまだ働き盛りと言われる年齢で、

マスターはこの世を去ってしまった。

マスターの作り上げた「銀河夢」はなくなってしまった。

 

そう思っていた。

 

ところが目の前に、マスターのケーキがある。

どういう事だろう。

私はたまらず、お店の人に尋ねていた。

奥から出て来てくれた女性に見覚えがあった。

彼女も私を覚えてくれていた。

 

「銀河夢」で修行していた彼女と

同じ頃、絵の勉強をしながら

「彩園子」のあたりをうろうろしていた私。

 

「銀河夢」で目が合うと、お互いにっこりして目で挨拶をしていた。

私がまだ20代の頃だ。

 

「銀河夢」なき後も、彼女は職人として情熱を持ち続け、

店舗を持たずに注文を受けて宅配する、という形でケーキを作り続けて来たらしい。

そして、彼女のケーキを愛するたくさんの人達の希望もあり、とうとう店舗を持つようになったのだ。

 

お店のメインはなんと言っても

こだわりのシフォンケーキだけれど、

ケースの中には、あの「銀河夢」のケーキもある。

 

マスターの奥様は、快くレシピを伝えてくれて、開店の際はお店を手伝って下さったという。

 

私は再会を喜び、忙しい手を止めてお話ししてくれた事を感謝して、お店を出た。

歩き出すうち、どうしようもなくポロポロ涙が出て来てしまった。

 

二度と会えないと思っていた人に会えたような喜びをもらった。

人の思いは無くならないという事を教えてもらった。

 

マスターはここにいる。

 

その証が形となって、美味しいケーキになっている。

彼女の手から生み出されて、人を笑顔にしている。

心強さに涙が止まらなかった。

 

大切な人を笑顔にしたい時、

私はちひろ菓子工房に行く。

 

ちひろさんの作り上げたシフォンケーキと、マスターゆかりのケーキを抱えて、満面の笑みでお店から歩き出す。

 

その時、ふらふらした心細さは少しも感じていない。

(この文章と、お店のロゴの写真の掲載を快諾して下さったちひろさんに感謝しています!ありがとうございました。)

#ちひろ菓子工房#盛岡#銀河夢