子供の頃テレビをつけたら
ニワトリのトサカのように髪を逆立てて、叫び、転げ回って歌っている男の人がいた。
親が見たら「真似してはいけませんよ」と必ず言うような姿だった。
(なんだこれは)
そのニワトリは強烈な印象を私に残したが、私は名前や歌を調べる方法を知らなかった。
子供にはチャンネル権(死語)もなく、インターネットどころか、ビデオ録画もCDもない時代だった。
高校生になり、私には美術部で
いつも並んでデッサンをする友達がいた。
私は彼女の言動や作品に憧れていた。
何でも真似したくなるほどだった。
同じ年なのに、そんなふうに思うのは悔しい気持ちもあったけれど、彼女に見えてるものを知りたいという思いの方が強かった。
そしてある日、彼女がずっと好きで聞き続けているというバンドのカセットテープを貸してもらった。
それは、テレビでもてはやされているような、小綺麗な音楽ではなかった。
しかし、歌詞の一つ一つが胸に残って消えない。
そして私は、どうにもこの声に聞き覚えがある事に気がついた。
あの日のニワトリだった。
それから私は友達にテープを
ダビングしてもらい、彼の音楽に夢中になっていった。
小学校の頃(真似したら怒られる)と直感したのは間違っていなかった。
彼は正真正銘の
正直者で冒険者だった。
だから、権力を持つ団体から
仲間外れにされたり、妨害を受けた状況で音楽活動をしたりしていた。
まだ子供であっても、目が釘付けになったのはあたり前だろう。
大声で世の中に「王様は裸じゃないか」と言ってしまう人間、
危険を顧みず「自由」をやってのける人間を、理屈ぬきで子供は
自分の味方だと知っている。
しかし、子供が憧れる冒険者は
親に褒められる事とは対極にあるのかもしれない。
親の願いは「安全」だからだ。
私も子供が生まれ
娘の「無事」を願う親になった。
それでも、ますます切実に
忌野清志郎の声と歌は
私の胸から消えないでいる。
#忌野清志郎