りんご

 

 その季節になると決まって思い出す昔の記憶、というのが

誰にでも一つ二つあるのではないだろうか。

 

暖かい部屋から雪が

もっつもっつと降るのを見ていると

どうしても盛岡に来たばかりの頃の自分を思い出す。

 

初めて味わう岩手の冬に

私はぺちゃんこにされてしまった。

「ひとり暮らしとは、寒い事だ」

と身にしみた。

 

火の気のない部屋に帰ること。

灯油を買いに行き、運ぶ事。

冷蔵庫に入れてない物がみんな凍る事。水抜き。

冬の日常の小さな一つ一つが

みんなつらかった。

 

寒いとどうして泣きたくなるんだろう。

冬にいじめられてる気が

して私はよく泣いていた。

 

暖房費節約のため、暗くなるまで大学の図書館で過ごす。

でも暗くなればなるほど帰り道は寒い。

スーパーに寄れば暖を取れるけれど

無駄使いをしてしまいそうなので

我慢、我慢と素通りしかけた。

その時横から声をかけられた。

 

振り向くと私の方に

ポンポーンとりんごが二つ投げられた。


「いいから持ってきな。おいしいよ!」


雪の中、外のテントでりんご売りしてたおじさんだった。

 

「ありがとうございます!」

 

自分でもびっくりするような大きな声でお礼を言って歩き出したら、涙が後から後から出てきた。


歩きながらりんごをかじる。

(おいしいよー)と体中で言いながら帰った。

 

その時から、私の泣き虫は少しずつ直っていった。

ひとりで震えてても、冬と向き合ってるのは私ひとりじゃないと、

気がつき始めたのかもしれない。


そして寒ければ寒いほど岩手山は美しく、盛岡の風景は、冬が格別に美しいという事にも気がついていった。

 

しばれる冬を一つ越え二つ越え

気がついたらすっかり盛岡に居着いて「こっちの冬はきれいだよ」なんて

実家に電話している。

冬の日常に触発されて絵を描く事も増えた。

アトリエの水が筆と一緒に凍っていても、いつもの事として笑ってストーブをつける。

 

でも時々、こうして窓の雪を見ていると、どこかでまだひとりだったあの頃の私が、泣きべそをかきながら歩いてるような気がして、りんごでも投げて励ましたくなるのだ。 

岩手は寒い そして暖かい